日記(活動報告)

2024-04-22 09:05:00

安城市 石川喜平翁頌徳祭に出席しました

21日午後より、降雨の中で石川喜平翁頌徳祭が執り行われました。高棚町では毎年、春祭りの午後からの神社式典を終えたのち、神社に隣接する石川喜平公園の石川喜平翁頌徳碑の前で式典を行っています。また、式典後は明治用水から農水を引いた池へ、明治用水土地改良区の岩井副理事長をはじめ、町内の明治用水・農業関係者の手により金魚の放流を行いました。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながりました。2年前には開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至りました。都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者の石川喜平の功績は非常に大きく、郷土の誇る偉人です。
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