日記(活動報告)
2025-06-15 18:09:00
安城市 岡工会理事総会に出席しました。
14日午前10時より、岡崎市の竜美丘会館で開催された、岡工会理事総会に参与として出席させていただきました。
総会は円滑な議事進行がなされ、総会は滞りなく終了となりました。2021年4月に岡崎工業から岡崎工科へ名称変更したのですが、ここ数年の入学生徒は減少していました。しかし、令和7年度の入学生徒は大幅に伸びるとともに、文部科学省でも「すごいぞ!専門高校」のホームページをこの6月より公開開始しており、専門高校への注目度が増していくことを祈ります。
総会のあとは、出席された皆さまと懇親会があり、昔懐かしい話で盛り上がりました。会場のすぐそばを流れる乙川は、河川敷で様々なイベントが開催され、大勢の人々が集まります。
現在、岡工会に所属する議員は市議会議員4人。うち、岡崎市議2名(お1人欠席)、蒲郡市議1名、安城市議1名です。鈴木静男岡崎市議(写真左)と大須賀林蒲郡市議(中央)と私の3人で写真撮影。とても頼りになる先輩議員の皆さんです。
2025-06-13 23:29:00
安城市 日赤愛知災害管理センター棟の見学会に参加しました
13日午前中、名古屋市昭和区にある「日赤愛知災害管理センター棟」の見学会が開催され、あいち防災リーダー会の皆さまとお邪魔しました。地下鉄名城線の八事日赤駅からすぐの場所です。
この日赤愛知災害管理センター棟は、地下2階、地上4階(免震層含む)の全国的にも珍しい災害マネジメントに特化した施設で、災害が発生した時に、DMAT(災害派遣医療チーム)や全国の赤十字救護班など、県内あるいは全国から被災地に集まってくる医療チームと連携・共同して、必要とされる医療を提供するためのマネジメント拠点となる専門施設となっています。
特に目を引くのは「免震構造」で、3種類の支承とオイルダンパーで巨大地震災害に耐えうる構造となっています。また、この地域の豊富な地下水を活用し、地下水浄化システムで建物の水を全て賄っています。毎時12㎥の処理能力があるそうです。
万が一の事態に備えた最先端の施設ですが、本来は、この施設が稼働しなくて平穏であることを望みたいものです。
2025-06-07 22:38:00
安城市 下菅池町内会の役員会に出席しました
7日午後7時より下菅池町内会の役員会へ。今月の伝達事項や行事等の確認を行いました。町内会公民館の照明をLED化するとのことで、市民協働課への補助金申請を済ませたとの報告がありました。会長も2年目となり、安定感が増しています。
ただ残念だったのは、明日8日に開催される、西部公民館主催の「三世代グラウンドゴルフ大会」ですが、当初、下菅池町内会から1チームが出場予定でした。しかしながら、年少者・中年者・高年者のうち、小学生以下の年少者2人が確保できず、出場辞退となってしまいました。応援できず本当に残念です。
小さな町内会であり、会員の減少、高齢化などの課題を抱えています。今回は、予定していた年少者に別の予定が入ってしまったようですが、来年こそは出場を実現させて欲しいものです。
2025-05-31 23:47:00
安城市 ザ・シェビーズのライブにお邪魔しました
31日午後6時半より、碧南市にあるキッチン花苑さんに併設されたEスタジオで、ザ・シェビーズのライブが開催されました。同バンドのEスタジオでのライブは、なんと今回で6回目。私は今年2月のライブに続き2回目となります。会場は超々満員となる100名近いお客さまでいっぱいでした。
ザ・シェビーズといえば「オールディーズ」。聞き覚えのある懐かしい曲を次から次へとテンポよく演奏していきます。会場は大盛り上がりで、自然と踊り出す方々も。あまりにも満員すぎて踊るスペースが限られてしまいましたが、とても楽しく、あっという間の2時間でした。ライブの後は、同じテーブルの皆さまとキッチン花苑さんで食事をして、帰路につきました。
今年3月で3周年を迎えたEスタジオでは、毎月1回のペースでコンサートやライブが開催されています。今後も機会があれば、ぜひお邪魔させていただきたいと思います。
2025-05-30 21:27:00
安城市 十勝地方の地震が気になったので
最近、北海道の十勝地方での地震が気になっています。5月に入って震度4クラスの地震が2回発生しています。
十勝地方と言えば、帯広と幕別を結ぶ2径間連続の斜張橋、第二札内橋(現、札内清柳大橋)の建設工事に、私は1999年~2001年初めにかけて携わっていました。1本主塔の1面吊りで、主塔は下方から上方へグラデーション塗装されています。
主塔と橋桁は海上輸送して広尾で陸揚げ。中でも主塔基部が50t近くあり、陸送の許可申請や通過する20橋ほどの耐荷力照査が必要で、大変な手間と時間がかかりました。冬の間は工事ができず、東京の本社に帰って他物件の応援をやってました。
あれから25年。橋が完成して以来、一度も現地に行く機会に恵まれていません。元々地震の多い地方ではありますが、十勝地方で地震が起きるたびに、この橋のことを思い出します。