日記(活動報告)
2026-07-08 23:09:00
安城市 書道で準初段へ昇段しました
月末に提出する書道の昇級試験の作品で、いつも「漢字規定」と「漢字かな交じり」の2部門にエントリーしていますが、5月度の作品が2部門ともに昇級を達成し、「漢字規定」が1級になったことは先月報告しました。そして6月度は、「漢字規定」が段位への挑戦となったわけですが、結果、連続して1級にも合格し、『準初段』になることができました。
昇級試験にエントリーを初めて約4年が経過し、10級からスタートした「漢字規定」でようやく1級に到達し、続けて段位へ進むことができました。しかしながら、この段位がなかなか上がっていきません。非常に厳しい現実があります。
元々、練習時間が短く、基本ができていなかったのですが、「継続は力なり」の言葉のごとく、時間を見つけて小さな積み重ねにより、コツコツと月末の作品提出を頑張ります。
2026-07-07 18:46:00
安城市 今朝のふれあい朝市
2026-07-06 12:29:00
安城市 遅刻しないように
2026-07-05 20:27:00
安城市 高棚神明神社の清掃活動へ
2026-07-04 21:22:00
安城市 石川喜平公園の早朝清掃活動に参加しました
4日午後7時より、町内にある石川喜平公園の清掃活動に参加しました。明治用水開削測量を開始して200年が経過したのを機に、郷土の偉人である石川喜平の功績を後世に伝えていこうと、町内で「石川喜平継承委員会」を立ち上げ、その関係者が参加して毎月の清掃活動を実施しています。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながり、4年前に開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至り、一昨年100年の節目を迎えました。都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者であり、教育者でもあった石川喜平の果たした功績は、非常に大きいものがあります。
















