日記(活動報告)
2026-04-22 22:01:00
安城市 麦が順調に育っています
2026-04-20 20:42:00
安城市 高棚神明神社春祭りと石川喜平翁頌徳祭
19日午後より、高棚神明神社の春祭り式典と、石川喜平翁頌徳祭(しょうとくさい)に出席しました。高棚町では毎年、春祭りの神社式典を終えたのち、神社に隣接する石川喜平公園の石川喜平翁頌徳碑の前で式典を行っています。
昨年の天候は雨でしたが、今年は天候に恵まれました。ご来賓・町内関係者による玉串奉典ののち、明治用水から農水を引いた池へ、喜平翁のご子孫さまと明治用水土地改良区の石川理事長の手によって、金魚の放流が行われました。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながり、4年前に開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至り、一昨年100年の節目を迎えました。
都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者であり、教育者でもあった石川喜平の果たした功績は非常に大きく、郷土である高棚町の誇る偉人です。
2026-04-19 01:15:00
安城市 詩吟の稽古に出席しました
17日午後、月3回開催の詩吟教室の稽古へ。先月に3月議会が終了したばかりだというのに、もう次の6月議会の一般質問準備に取り掛かっており、詩吟の稽古は、時間の途中から出席または欠席といった場合が多いです。
5月3日に開催される、西三河岳風会の『令和8年度春季資格審査会』へのエントリーが決まっており、今度の吟題は徳川斉昭(なりあき)の『大楠公(だいなんこう)』を選択しました。大楠公とは、南北朝時代の武将・楠木正成(くすのき まさしげ)の尊称で、徳川斉昭は、幕末の水戸藩第9代藩主です。詩の意訳は、「人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は永遠に尽きることがない。大楠公のような純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがない」といった、本人を称える内容となっています。
今回は2段への挑戦ですが、合格から次の審査までに短くて半年、段位が上になると1年、2年、4年といった履修期間が必要です。とても長き道のりです。
2026-04-16 23:55:00
安城市 子ども見守り隊総会に出席しました
2026-04-12 17:13:00
安城市 老人クラブの神社一斉清掃活動に参加しました
12日朝7時より、来週日曜日の高棚神明神社春祭りに向けて毎年行われる、老人クラブの神明神社一斉清掃に参加しました。7時集合のはずでしたが、皆さん6時半過ぎには集まり始めて清掃を始められていました。
週末の荒天が影響して、神社境内には大量の落ち葉が散乱しており、40人ほどの老人クラブの皆さんと、20人ほどの神社の係の皆さんで協力しながら、落ち葉の片付けと草取りを1時間行い、終了となりました。
その後、皆さまに集合していただき、私から「地震災害に備えた家具等の固定の必要性」を説明させていただきました。防災ボランティアの活動を通じて、市民にヒアリングをしてみると、転倒防止対策を行っている方は少数であったりします。阪神淡路大震災時では、亡くなられた方々の約8割が、家屋の倒壊や家具の転倒による窒息死・圧迫死だったことを教訓に、住民が集まる機会での啓発活動を継続していきます。
















