日記(活動報告)

2025-04-27 12:13:00

安城市 環境保全会による農地点検が行われました

27日朝9時より、地域の環境保全会である「高棚環境向上委員会」による『点検・機能診断』が、20名余の役員・協力員のもとで行われました。年1度の大規模点検となります。
当町は約400haの広大な優良農地を抱え、そのうちの約340haの農地のほか、排水路や農道が活動対象となっています。毎年この時期に点検・機能診断を行い、この1年から数年後にわたる改修予定カ所の選定と、改修の順位を計画します。3名1組で7つのグループに分かれて、各担当エリアの改修が必要な箇所をチェックし、これをもとに小規模な修繕か、大規模改修(老朽化した排水路を全面的に改修など)かの判定に繋げます。今回は、農道の凹凸や、排水路内の雑草の繁茂など、農業インフラの機能低下の回復が必要な箇所の報告が数多くありました。
年1度の大規模点検だけでなく、日々の地道な点検活動も、地域の環境保全会に求められる重要な役割となっています。
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2025-04-24 08:33:00

安城市 スナップエンドウのはずだったのに

いつもお世話になっている三宅さん。この時期の三宅さんの畑では、私の大好きなスナップエンドウが沢山できていて、ひと声かけてから、セルフで収穫させていただいています。
ところが今年は様子が違っていて、スナップエンドウではなく「さやえんどう」ができていました。なんでも種をちゃんと買ってきたはずが、育ってきたら違っていたとのこと。野菜作りのベテランでもこんなことがあるんですね。
ちなみに大きいものは繊維質で美味しくないので、小さいくて柔らかいものを茹でるか、十分育つまで待ってから、中の豆を食べることにするそうです。それにしても大量にありますので、育つのを待ってから豆をいただこうかと思います。
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2025-04-23 17:04:00

安城市 雨風の強い日の登校の様子

今朝は雨と風が強く、予想はしていましたが、集合場所にやってきた子どもたちの人数は1/3程度でした。
こんな日は、保護者が車で送っていきます。一見、過保護だと思われるかもしれませんが、子どもが雨風をしのぐことに気を取られ、特に新1年生にとっては危険がいっぱいです。また、私が見守りをしている地区は、小学校から最も離れている地区でもあり、仕方ないところもあります。
下校の際には、ちゃんと歩いて帰ってくると思います。
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2025-04-22 21:42:00

安城市 今朝のふれあい朝市

今朝のふれあい朝市は、急な気温の上昇が影響しているのでしょうか、先週よりも少し野菜の出品数が減っていました。
私の大好きなスナップエンドウが1袋100円で売られており、思わず購入したくなりましたが、お客さま優先としました。また、カブは間引いたものですが、普通のカブよりやや小さいくらいの大きさで、色々な料理に使えるそうです。
4月なのに異常な暑さだったり、雨が続いたりで、野菜や花の生育にも影響が出るかと思いますが、いつも頑張っている4人のスタッフのお母さま方には、本当に感謝しています。
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2025-04-21 16:55:00

安城市 石川喜平翁頌徳祭に出席しました

20日午後より、石川喜平翁頌徳祭が執り行われました。高棚町では毎年、春祭りの午後からの神社式典を終えたのち、神社に隣接する石川喜平公園の石川喜平翁頌徳碑の前で式典を行っています。特に今回は、前日に建立されたばかりの石川喜平翁の銅像と頌徳碑が並んだ状態での頌徳祭でした。
そして式典後は、明治用水から農水を引いた池へ、喜平翁のご子孫さま、明治用水土地改良区の石川理事長、江川事務局長の手で金魚の放流が行われました。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながり、3年前に開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至り、昨年は日本デンマーク100年を迎えました。
都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者であり、教育者でもあった石川喜平の功績は非常に大きく、郷土の誇る偉人です。
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