日記(活動報告)
2025-04-27 12:13:00
安城市 環境保全会による農地点検が行われました
27日朝9時より、地域の環境保全会である「高棚環境向上委員会」による『点検・機能診断』が、20名余の役員・協力員のもとで行われました。年1度の大規模点検となります。
当町は約400haの広大な優良農地を抱え、そのうちの約340haの農地のほか、排水路や農道が活動対象となっています。毎年この時期に点検・機能診断を行い、この1年から数年後にわたる改修予定カ所の選定と、改修の順位を計画します。3名1組で7つのグループに分かれて、各担当エリアの改修が必要な箇所をチェックし、これをもとに小規模な修繕か、大規模改修(老朽化した排水路を全面的に改修など)かの判定に繋げます。今回は、農道の凹凸や、排水路内の雑草の繁茂など、農業インフラの機能低下の回復が必要な箇所の報告が数多くありました。
年1度の大規模点検だけでなく、日々の地道な点検活動も、地域の環境保全会に求められる重要な役割となっています。
2025-04-24 08:33:00
安城市 スナップエンドウのはずだったのに
2025-04-23 17:04:00
安城市 雨風の強い日の登校の様子
2025-04-22 21:42:00
安城市 今朝のふれあい朝市
2025-04-21 16:55:00
安城市 石川喜平翁頌徳祭に出席しました
20日午後より、石川喜平翁頌徳祭が執り行われました。高棚町では毎年、春祭りの午後からの神社式典を終えたのち、神社に隣接する石川喜平公園の石川喜平翁頌徳碑の前で式典を行っています。特に今回は、前日に建立されたばかりの石川喜平翁の銅像と頌徳碑が並んだ状態での頌徳祭でした。
そして式典後は、明治用水から農水を引いた池へ、喜平翁のご子孫さま、明治用水土地改良区の石川理事長、江川事務局長の手で金魚の放流が行われました。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながり、3年前に開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至り、昨年は日本デンマーク100年を迎えました。
都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者であり、教育者でもあった石川喜平の功績は非常に大きく、郷土の誇る偉人です。