日記(活動報告)
2026-04-25 11:35:00
安城市 あんくるバスの乗車体験会に参加しました
安城市 あんくるバスの乗車体験会に参加しました
24日、安城市が運行するミュニティバス『あんくるバス』の乗車体験会が、西部地区社会福祉協議会さんの呼びかけで開催されました。高棚町にお住まいの方を対象に、高棚線の起点となる高棚停留所から、終点の1つ前となる昭林公園停留所までの乗車です。あんくるバスは、1乗車100円で市内全域を10系統でカバーしています。
私を含む町民5人と、地区社協担当者2人の計7人がバスに乗車しました。私以外の方は、あんくるバスは初乗車とのことで、私も途中の三河安城駅で降車していましたので、目的地までの乗車は初体験でした。10時45分の高棚発に乗車し、昭林公園までは時刻表上、30分程度で到着するのですが、途中で乗車や降車される方が多く、目的地に到着したのは10分遅れでした。バスの乗り心地や混み具合、運行状況把握することも、乗車体験会の大きな目的でもあります。
目的地に着いた後は、皆さんで昼食をとり、有名なパン屋さんで買い物をして帰路につきました。帰りの便もけっこう混み合い、約10分遅れの到着でした。途中、信号待ちのバスの中からふと横の車両を見ると、エンブレムの蓋が半開きでしたが、故障か何かでしょうか。
2026-04-24 09:08:00
安城市 市道と側溝の高低差が解消されました
昨年11月にご町内の方からご要望をいただいていた件がありました。内容は、市道と側溝・敷地境界部に大きな高低差が存在している関係で、車両の出入り時に車両の下面が当たって傷付くので何とかして欲しいというもの。以前よりこの状態で、甲蓋を側溝上に重ねて段差を少しでも解消するようにしていますが、載せた甲蓋が動くために効果が薄く、また、ルール上、甲蓋を重ねることはNGと思われます。
そもそも側溝の高さで敷地の出入り高さが決定してきますので、明らかに市道の横断面形状に問題があることから、市の維持管理課と調整して、早速、新年度の改修対象として工事が着工され、このたび改修工事が完了しました。
市道の路面排水の勾配を残しつつ、市道と側溝との高低差が解消されました。側溝上に重ねていた甲蓋も取り除かれて、スムーズな車両の出入りができます。
2026-04-22 22:01:00
安城市 麦が順調に育っています
2026-04-21 22:28:00
安城市 絶望からの好転
先週のことですが、財布を落としてしまいました。最初、どこで落としたのかが解らず、さらに財布の中にはキャッシュカード、クレジットカード、マイナンバーカードといったカード類と、現金、病院の診察券等が入っていました。
久しぶりの絶望感を味わいましたが、買い物でダイソー安城南店に寄ったことを思い出しました。ダメもとで同店へ行き、店員さんに「財布の落し物がありませんでしたか?」と尋ねたところ、数分後、店員さんが落とした財布を持って登場。あまりの嬉しさに、思わず声を出してしましました。店員さん曰く、駐車場で財布が落ちていたとのこと。どうやら駐車場で薄手のジャンバーを羽織った際に、ポケットへ財布を入れたつもりがしっかり入っておらず、落ちてしまったようです。
店員さんに、拾って下さった方へお礼を申し出たところ、「駐車場で財布を拾ったので、あとはお願いします」と言い残して立ち去られたそうです。財布が戻って本当に安心しました。その夜、私がぐっすり眠れたのは、財布を拾って下さった方とお店の方のおかげです。ありがとうございました。
2026-04-20 20:42:00
安城市 高棚神明神社春祭りと石川喜平翁頌徳祭
19日午後より、高棚神明神社の春祭り式典と、石川喜平翁頌徳祭(しょうとくさい)に出席しました。高棚町では毎年、春祭りの神社式典を終えたのち、神社に隣接する石川喜平公園の石川喜平翁頌徳碑の前で式典を行っています。
昨年の天候は雨でしたが、今年は天候に恵まれました。ご来賓・町内関係者による玉串奉典ののち、明治用水から農水を引いた池へ、喜平翁のご子孫さまと明治用水土地改良区の石川理事長の手によって、金魚の放流が行われました。
石川喜平は文政5年(1822年)に、用水開削を目指す都築弥厚の懇願を了承し、弟子の石川浅右衛門らとともに、「安城ヶ原」と呼ばれた「ため池」に頼るやせた台地の測量に挑みました。文政10年(1827年)秋には5年をかけた測量を終えて測量図が完成しましたが、天保6年(1835年)には都築弥厚が用水の完成を見ることなく病没し、文久2年(1862年)には、喜平も75歳で死去しました。しかし、この時の測量図が、その後の岡本兵松や伊豫田与八郎らに受け継がれ、明治13年(1880年)の明治用水通水につながり、4年前に開削測量開始200年の節目を迎えました。
明治用水完成後の農業の発展は目ざましく、やがて生産物は米作、養鶏、養蚕や果樹と多方面に渡り、多角形農業と呼ばれ普及していきました。こうしてこの地は「日本デンマーク」と呼ばれるに至り、一昨年100年の節目を迎えました。
都築弥厚らの陰に隠れがちで目立たないですが、和算(わさん=江戸時代に発展した数学)家で天文学者であり、教育者でもあった石川喜平の果たした功績は非常に大きく、郷土である高棚町の誇る偉人です。

















